プチシューみたいなたくさんの夢と出来事の着眼点
夢を叶えるという定義が、『“いつか”と思っていたことをする』ことだとするならば、ここ最近、たくさんの夢が叶っている。
いつか作ってみたいと思っていた数々のパン作りにはじまり、いつか買おうと思って先延ばしにしていたものを新調したり。
いつか欲しいと思っていた食パン用の型を夫がプレゼントしてくれたり、いつか欲しいと思っていた蒸し器をたまたまカタログギフトで手に入れたり。
最近一緒にお出かけできていなかった夫と久しぶりに出かけられたり。
書き出してみても本当に些細で、こんなこと夢って言えるの?と疑問に思ってしまいそうだけれど、どんなに些細なことでも『夢が叶った!』『ラッキー!』『ついてる!』と喜べる単純な自分でいるのも悪くない。
どんな出来事もどの部分をを切り取るかで印象は大きく変わると言われるし、仮に同じ出来事が起きたとしても、切り取る部分が違えば、見える景色は人それぞれ。
きっと私はこれまで、出来事のネガティブな面を切り取っては、綺麗にスクラップして保管するような人生を送ってきたのかも。
何度もそのスクラップを見返しては、“ほら、私はこんなにだめなんだ”“私は価値のない存在なんだ”と自戒し、すべてに遠慮し、萎縮してきた。
『だめで、すみません』
『私なんかが、すみません』
長い時間をかけてようやく自分が見ているものが、出来事の一部分だということを理解し、いろんな受け取り方があることを知ってきた。
だからこそ、誰に遠慮するでもなく、些細なことでも夢が叶ったと喜べる自分に出会えたのだと思うと感慨深い。
長い道のりだった、とこれまでの日々に思いをはせてみれば、案外いる場所は変わっていないのではという気がしてくる。景色のいい素晴らしい場所に向かって険しい道のりを歩いているつもりだったが、私はもともと景色が素晴らしい場所にいたのかもしれない。
薄暗い霧がたちこめて、何も見えていなかっただけで。
…なんだか山頂にでも辿り着いたような気になっているけれど、油断するとすぐに霧がたちこめて大切なものを見落とすのだろうな。
霧がたちこめて、また霧をはらして、そうやって繰り返していくことで視野を広げていくのだろう。
なんかドラマの最終回を迎えた主人公みたいな気分になってきた。
ここらでいい感じの音楽でも流していただいて・・・
なんて自分に酔っていたら、思い出した。
小学生の頃からずっと叶えたかった夢があることを。
小学生の頃、わかったさんシリーズのお菓子を作ることを夢見ては、こっそりとノートに書き写していた。なぜ“こっそり”なのかというと、お菓子作りをしたいと思っていることを両親に知られることが恥ずかしかったからだ。
『いつか大人になったら作ってみたい』
そう未来の自分に託したはずなのに、
とっくに大人になったというのに、
いつでも叶えられることに、今気がついた。
せっかくだし、作ってみようかなと考えたとき、心の中に作ることを足踏みする自分が生まれた。
足踏みしながら、もうひとりの私が言う。
『うまく出来るの?』
『難しいかもよ』
『失敗するかもよ?』
“いつか”と思いをはせて先延ばしにするほうが、実際に行動に移すことよりも心地よいときがある。
だって私は、夢を叶えることを怖いと思う臆病者だから。
(ずーっと行きたかった場所に行けることになったときだって、喜びより先に『嘘、どうしよう!?』と思う)
だけど、あの勇敢なラプンツェルだって夢を叶える直前にこう言っていた。
―私、怖いの。
ずっと18年の間、窓の外を眺めて夢見てた。
あの光が空に舞い上がる様子を間近で見たいって。
想像してたのと違ってたらどうしたらいいの?
夢が叶ってしまったら、次は何をしたらいい?―
これに対して、プリンスのユージーン・フィッツハーバートはこう答える。
―それが楽しいんじゃないか。
また新しい夢を探すんだ。―
そう、そうよね、ユージーン…!
やりたいこと、どんどん叶えていけばいいのよね!
怖くても、怖くないんだわ・・・
私・・・やってみるわ!!!
気持ちはディズニープリンセス。
歌いだしそうな勢いのまま図書館でわかったさんの本を借りてきた。
一番憧れていたわかったさんのシュークリーム。
いよいよ夢を叶えるのね!!!
最高潮に盛り上がった気持ちは、冷蔵庫を開けてバターと生クリームがない現実に気がつくとともに急速にしぼみ、ディズニーの魔法はあっけなく解け去った。
…買い物は後日にしてとりあえず久しぶりに読んでみようかな。
決して叶えるのが怖いからではない。
ただー。
今日はめんどくさいだけ。
ただ、それだけ。