必要経費
夫の言動に傷つき、そこからいろんなことを考えて、もう随分長いことパン屋へ行っていないことに気がついた。
いつからかもったいないから、と足が遠のいていた。
(そのくせ、スーパーでお菓子は大量に買ってしまうという矛盾よ…。
最近読んだ金子由紀子さんの「お金に頼らずかしこく生きる 買わない習慣」という本でも本当に欲しいものを高いからと我慢しながら、安いものを買ってしまうことについて、小さな不満が溜まっていき、無意識下で“こんなモノしか買えない自分”という自己嫌悪を抱くようになるのだと説明されていた。
それでは心のすき間がうまらないらしい。私のことかな?)
私は腹が立っていた。
私の気持ちをないがしろにした夫に。
そして、私自身に。
ああ~もう!
自分の気持ち大切にしてやろうじゃないか、このやろう!!
とりあえず、パン屋行ってやらあ!!!(何語)
そしてパン屋に行こうと決めたとき、半年(…いや、1年?)ほど前からお店の前を通るたびに「いつか行きたい」と思っていたパン屋のことを思い出したのである。
いそいそとスマホで検索を開始する。
新しいお店に行くときは、下調べ必須。これ絶対。
なんたって臆病者ですから。
名前、名前……なんだっけ?
仕方ない、地図アプリで場所から名前を突き止めよう。
いつもあのごはん屋さんに行くときに見かけるから…と、その店の名前を入力し、写真プレビューで目当てのパン屋を発見する。
さて、一番知りたい情報は駐車場の有無・大きさ・駐車のしやすさである。
いつも前を通るたびに車を止めにくそうだと心配していたのだけれど、写真プレビューを様々な角度に動かしつつじっくり見ても私が苦手とするタイプの駐車場にしか見えない。
路面店で、お店の前に1台停められそうなくらいのスペース。
入るときか出るときに、道路にはみ出さなければならない駐車場は、人様の迷惑にならないように小さくなって生きてしまう私のような臆病者には心理的負担が大きい。
たとえ車通りが少ない道路だったとて。
それにこのパン屋、ガラス張りなんですもの・・・。
さっきまでの威勢が急速にしぼんでいくのを感じて、慌てて自分を励ます。
いいよいいよ、大丈夫。
近くに有料パーキングあるって。
今日は傷心だし、心理的負担を少なくすることを重視しよう。
そのためにかかるお金は必要経費だよ。
うじうじ悩みだす時間を自分に与えてはならぬと、眉毛もかかずにどすっぴんのままカバンをひっつかんで車に飛び乗った。
今日の目的は可愛くパン屋に行くことではないのだ。
パン屋に行く。それだけのことなのだ。
ふと我に返る。
ただパン屋に行くだけなのに、私はなぜこんなにも自分を奮い立たせなければならないのか…
なぜ行きたい場所へ行くことにも、やりたいことをやることにも、人よりも時間とお金がかかるのか…
あーあ。私、何やってんだろ。
なんだか泣きたくなってきて思わずため息が出る。
・・・。
でも、でもさあ!別によくない⁉
一体何が問題だっていうの⁉
私が安心して出来る方法が、傍から見て非効率で無駄だったとして、一体誰に迷惑をかけるというの⁉
これは仕事でも何でもないプライベートな時間だというのに⁉
なんだか無性に腹が立ってきて思ったのだ。
もういいじゃないか。
非効率で無駄な方法しか選べない自分のことだって、もう許してあげよう。
苦手なことが多い中、私はよく頑張ってきたじゃないか。
パン屋の近くの有料パーキングに車を停めて、歩いてお店へ向かう。
パン屋の前に来てもなお怖気づく自分がいる。
どうしよう。ついてしまった。
『い、1回素通りしようかな……。』
いやいや、そんなことをしたらタイミングを逃して3周はすることになるのは目に見えている。
このタイミングを逃してはならぬ。
斜め掛けのカバンの紐をきつく握りしめる。
無事、入店。
大好きなハード系のパンを中心に買い求め、店員さんの袋詰めの癖の強さにパンへの愛情を感じてほっこりし(パンをつぶさないように気をつけているがゆえのコミカルな動きだった)、軽やかな足取りでお店をあとにしたのであった。
久々にパン屋に行けた喜びと達成感、今から家に帰れる安堵感。
帰るときが一番元気だったりするのです。
いやはや、いやはや、汗びっしょり。
家に帰って、夫の大好物「明太フランスパン」をどや顔でテーブルに置く。
腹立たしい夫を無視したいけれど、パン屋に行った話をしたくてたまらない。
悔しいから、あと30分は無視しとこう。
有料パーキングでかかった料金は200円なのだった。