本から覗くフィンランド





最近、フィランドに関する書籍を読んでいる。




幸福度世界一位だというフィンランド、幸福に暮らすヒントを得られたらいいなあ、と軽い気持ちで手に取ったのだが、これがまあ、とってもとってもおもしろい。






「いいなあ」と思うところ、「日本でよかったかも」とホッとするところ。





まだ行ったことのない見知らぬ土地の当たり前が詰まっている。





何より、何歳になっても学習意欲が旺盛なフィンランド人の姿は読んでいてワクワクしてくる。




実は少し前から、重ねていく年齢の割にあまりにも無知すぎやしないかと焦りを覚え、まずは歴史の勉強をしようと様々な書籍を細々と読み進めている。



そんな絶賛学び中の私の心に、紹介されている著者の友人の言葉が響く、響く。





く〜、かっこいい…!




謎に興奮してきて鼻息が荒ぶる。





さらにすごいと思うのは、その学びを仕事や人生に活かしていること。




これって意外と難しいのではないかしら。



資格を取ることが趣味と化していた過去の自分を思い出し、ちょっと恥ずかしくなる。






(ああ…途中で挫折したもの、取得したけれどもう覚えていないものばかりですわよ。おほほほほ。)






いや、比べることはやめよう。



私は私なりにベストを尽くしたのだから。うん。…うん。











私にとって外国は遠い遠い存在であった。


距離というより、心理的な距離が遠い。




いつか行きたい、とは思っていたものの、どちらかというと行く場所というよりも覚えるものという印象の方が強かった。




学生の頃は、世界史に出てくる長い長いカタカナの羅列に泣かされたうちの1人である。




恐ろしいことに、問題は長さだけではない。




ルイ14世、ルイ16世…




名前ではなく数字であることも苦手意識に拍車をかける。





なぜこんなにルイさんが登場するの⁉



なぜ数字は順番じゃなくて飛び飛びなの⁉



え、次はナポレオン?
“ルイ”はどうした!どこにいきやがった!!





脳内はパニック状態だが、学生の頃の私は理解より暗記の道を選んだ。




とりあえず、覚えよう。


覚えたらいつか、ある日突然わかる日が来るはずだ。








そう信じて目の前のテストに取り組んできたわけだが、残念ながらその日は来なかった。




(マリー・アントワネットやフランス革命に関する書籍を読んで長年の謎が解決したときの興奮たるや…!きっとこれが学びのおもしろさなのでしょう…。(遠い目) )








私も夫もスポーツ観戦をする習慣がないため、他の国の名前を耳にする機会もスポーツを通して他国に触れるという機会もない。






威張って言うことではないが、メジャーな国の名前しか知らないし、メジャーな国でさえ、首都名や観光スポットになるとどの国のものなのか一気にあやふやになる。







そういえば小学生のとき、国の名前を覚えるためにクラス全体でおこなわれたゲームがあったなあ、と思い出す。




ルールは至ってシンプルで、順番に国名を答えていき答えられなかったり、人と同じ国名を言ったら失格。着席する。




これが残り1人になるまで行われるのだ。






机を大きなロの字に移動させ、皆で向かい合う。


事前に覚えてきてはいるが、最終確認のために数分間与えられる。






子どもが楽しみながら国の名前を覚えられる、素晴らしいアイデアだと思う。



しかし私は、このゲームが大嫌いであった。




人目を過剰に気にする内気な子どもに、このようなゲームを楽しむ心の余裕は一切ない。



最終確認のための沈黙の時間は、恐怖へのカウントダウンの始まりである。



自分の心臓の音が爆音を奏でるのを感じながら、声が震えないように自己暗示をかけながらそっと深呼吸を繰り返す。




大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫…。(もはや呪文)







一番最初に着席するのだけは何がなんでも避けたい。


その一心でよくわからない名前を覚えていた気がする。




それだけでなく、早々に簡単な国名を口にするのは憚られる。



暗黙の了解で、クラス全体が空気を読み合っていた気がするのは気のせいではないはずだ。




さほど仲がよくない、どちらかというと苦手意識のある、気の強い子が隣の席だと、私が口にした答えを聞いて「あ、次言おうと思ってたのに!」などと叫ばれる。




し、知らねーよ!!!(泣)




中には熱中しすぎて苛立ちはじめる子どもが一人か二人現れるのも、ゲーム型授業の恐ろしさである。






子ども社会も大変なのです。





このゲームを通して今でも記憶に残っていることは、そんな酸っぱい思い出と「アイスランド」と「アイルランド」という国名のみ。








人目が気になり、意識が散漫しがちだった私はきっと、そのよくわからない長いカタカナの羅列が表す国に、美しい自然があり、文化があり、たくさんの人々が生活を営んでいるということを身近に感じる余裕がなかったのだろう。






繊細で内気な性格も相まって、私は小さな世界を生きている。




それでも、ゆっくり世界を広げていきたいなあ。




そんなことを思えるようになった自分が、ちょっぴり誇らしく思えたりするのです。





自分のペースで、臆病で繊細で内気な自分のまんまで、



ゆっくり、ゆっくり、やっていこう。