バレリーノは偶然に
我が家の寝室。
セミダブルのベッド上で、夫が華麗なポージングを決め込んでいる。ダイナミックかつ繊細である。
バレエダンサーさながらの動きをみせる彼から流れ出るのは、美しいクラシック音楽ではなく、豪快な騒音。
いびきである。
夫は寝相が悪い。
1人で寝るときは、ベッドの対角線上で寝なければならないとでも思っているのか、大抵斜めだ。
年々立派になる大きなお腹の影響か、寝返りもいちいち激しい。
大きな身体を布団で包み込む。
夏場の部屋着はハーフパンツが基本スタイルの、夫の美しい足が片足のみスッと現れる。
クリーム色のシーツに、色黒の茶色の肌がよく映える。
かと思えば、布団を半分ほど床に押しやるほどの豪快な動き。
布団をまるで衣装かのように活かすその姿はさすがの一言である。
夫のいびきと、ダイナミックかつ繊細な寝相を、そばで観察するのが好きだ。
彼の踊りは、私に感動ではなく笑いをプレゼントしてくれる。
最高の舞台である。
無論、ただただ夫の踊りだけを見つめ続けるほどの熱心な観客ではない。
昼寝をしている夫のそばで読書をしながら、時々観察する程度だ。
ふと、不思議に思う。
ただ寝相が悪いだけなのに、どこか繊細な美しさを醸し出すのはなぜなのだろう。今まで、他人の寝相を見てバレエを連想したことは一度もない。
まじまじと寝ている夫を観察する。
手だ。
手の動きだ。
夫は身体は固いが、手首だけは異様に柔らかい。
そのことに気がついたのは、まだ付き合い始めたばかりの頃。
カフェで向かい合って座っているとき、夫が手を組んで、その手の甲に顎をのせていた。あの、海外のドラマでよく見るようなワンシーンだ。
そして、その姿が不思議なほど様になっているのである。
実はそのポーズに憧れを持っていた若かりし学生時代の私。
お洒落なカフェ。お洒落な私。お洒落なポーズで友や恋人と語らう。
そんな空想に耽っていた私はもちろんそのポーズを経験済みである。
恐ろしいほど不自然になり、体制も安定しない。
可愛くもなく、辛いだけの真似はすぐに辞めた。
いい判断だったと思う。
そもそも“お洒落な私”の段階でつまづいていたことなんて、この際どうでもいい。
が、ちょっぴり悔しくて、私の何がいけないんだ!と考え込む。
もう一度同じポーズをとり、彼との相違点を探す。
目玉が飛び出そうになる。
手首の可動域が全然違うのだ。
人間の手首ってそんなに曲がるものなのか。
曲がっていいものなのか。そうなのか。
彼の顎をのせた手首が、ローマ字のMになっていた。
私はせいぜいローマ字のUをひっくり返した形どまりである。
うん、彼柔らかすぎ。
てか、私硬すぎ。
自分の手首の硬さを初めて知ったあの日の記憶が蘇り、手首が柔らかいと繊細な動きを表現できるのだな、バレエって本当に細部までこだわり抜かれたものなんだろうな、と想像する。
とりあえず、無呼吸になってる彼の鼻をつまんで呼吸を促した。
素敵なポージングより呼吸優先で頼みますよ。