ホウレンソウによる正義中毒



 私は長年、重い中毒を患っている。




 多くの中毒者は、自分が中毒を患っていることには気がつかない。



 私自身、自分が重い中毒を患っていることに、最近まで気がついていなかった。






 『正義中毒』






 私の中毒の名前である。








 その名を耳にしたことはこれまでにもあった。





 しかし漠然と、インターネット上で炎上に参加している人たちを指す言葉だと思っていた。



執拗に人を責めたててしまうような、どこか遠い存在の人たち。






私は違う。だって、そんなことしませんもの。






そんなふうに思っていたものだから、脳科学者の中野信子さん著書の『人は、なぜ他人を許せないのか?』を読んだときは衝撃を受けた。






わ、私のことが書かれているんですけど…!






動揺が隠せない。



ワタクシには関係ありませんわと、高みの見物気分でいたというのに、まさか当事者だったなんて。



心当たりのある出来事が走馬灯のように脳裏をよぎる。





あれも、これも、まさかあのときも?


どや顔で人を非難していたあの瞬間、正義中毒発症中だったというの…?





恥ずかしい、恥ずかしすぎる、と思わず両手で顔を覆った。




堂々と胸を張って宣言できるほど、間違いなく、私は正義中毒者であった。








同じ中毒者でも、発症するポイントは人それぞれなのだと思う。



個人が大切にしているもの。譲れないもの。



中毒症状にはそういったものが大きく影響するはずだ。






私の場合、ホウレンソウだ。




栄養満点・緑黄色野菜のほうれん草ではなく、報告・連絡・相談のホウレンソウ。


社会人のキホンのキといわれるあれである。








ホウレンソウをないがしろにする輩に、私はすこぶる厳しくなる。
仕事が効率よく回らなくなるわけだから、当然といえば当然のことかもしれない。



しかし、私は気がついたのだ。
中毒者とそうでない者の違いは、相手の人格まで否定するか否かではないかと。




というのも、他人に正義の制裁を加えると脳の中で快楽物資のドーパミンが放出されるらしい。


それが癖になると、無意識に罰する対象を探すようになってしまうのだとか。(先述の著書を読んだ私の個人的解釈)






思い返してみれば、自分が不調のときに普段よりも過剰に反応してしまい、そこから中毒症状の深みにはまっている気がする…。





人を非難して、気分がよくなっていた。




いや、気分は悪いのだけれど、心の奥深くで、相手より優位に立っている自分に酔いしれていた気がする。




ドーパミン、大放出である。






これが行き過ぎると、“この人と働くの本当にイヤ”というイヤイヤ期に突入しちゃうのだから、本当に厄介なものだ。(私だけかしら?)






多くの人が気がつかないうちに、加害者にも被害者にもなっているのかもしれない。






ちなみに、そんな私を中毒症状から目覚めさせてくれるもの。



ありきたりだが、お客様からの「温かい接客ありがとう」「これからも頑張ってね」という優しいお言葉。






強烈な往復ビンタをくらったようにハッとして、独りよがりになっていた自分に気がつく。







内心イライラしてるときの貼り付けた笑顔は醜くなかっただろうか…




もう本当に、不甲斐ない。




恥ずかしさのあまり、また両手で顔を覆うのであった。






あ~、穴があったら入りたい。